リベラルアーツと専門バカ

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1960年代の大学紛争の時代に小平邦彦さんが東大の学部長であったころ、学生達が小平さんを専門バカと言ったのに対して、小平さんが「専門バカでもない君たちはただのバカだ」と言ったというのは割と有名な話かと思います。小平邦彦さんでなくて一松信さんと勘違いしていて確認のために調べたら小平邦彦さんでした。

いずれにしても現代は学問、知識の著しい細分化が特徴であり、そうでなければ個々の分野が「進歩」しないので当然と言えば当然と言えます。例えば、病院に行くとほぼ臓器ごとに診療科目が分かれているのが今の病院で、大昔の町医者のように内科と外科というような区別ではそれぞれに要求される専門的な知識が深くなり過ぎて対応できないであろうことも明白。

無論病気の治癒のためには効果的なのでしょうが、患者自身のQOL(生活の質)の面から見て、個々の専門医の対応が適切なのかどうかは疑問のあるところ。極端に言えば、自分の専門分野の臓器に対しては興味はあって、なんとかしようとはするのだけれども、患者自身(の生活の質)に専門医の興味は無い場合も多いのではと思えます。

産業分野でもイノベーションは一つのことだけを追求する同業者の中からは起こらないのが定番。もはや古い話になりますが通信を変えた光ファイバーはATTグループの中のベル研究所から出たのでは無くて、コーニングから出てきたのは一例。そのような意味では、最近の企業内研究所の立ち位置も微妙で、廃止する企業も多いのは、このような背景によるものだろうと言えます。


リベラルアーツ(自由七科)のギリシャ時代の意味は「自由になるための学問」ということで、リベラルアーツを習得することで、例え奴隷でも自由人になれるということ。当時は奴隷の労働で社会が成り立っていたが、奴隷でも学があれば市民になれたということ。
写真はwikipediaからですが、多分ラテン語で(冠詞がないから)数学、天文学、弁証法とか書かれてます。
現代においてもリベラルアーツの必要性はいろんな場所で議論されてますが、哲学などは一番役に立たない学問というのが企業の一般的評価だろうと思う。これは企業の採用担当が近視眼的な成果に結び付くか否かが判断基準になっているだけだけれども。

個人的に考えるリベラルアーツ(科目はギリシャ時代と変わるだろうけれども)の現代における価値は、冒頭に述べた細分化されて素人には、場合によってはある分野の専門家も他分野を、理解し難くなっている新たに登場する技術や制度が人間社会にどのように影響していくのかの想像力を獲得するために必要なんだろうと思う。例えば、AIが今後進化していったときに、人間の価値は何なのかと言う哲学的な思考が無いと、人間は奴隷でしか無くなるだろうから。企業においても真にイノベーションを作り出していける人材と言うのは、専門プラス学際を超えたオールラウンドな知識、他の領域の専門を生かす力が要求されていると言うことだろうと思う。ここ数年、統計学が最強の学問と言われるのも、データアナリストが重要な時代だからであり、世の中が求める知識も変遷していくわけですが、そこに柔軟に対応していく能力獲得のためにもリベラルアーツが必要とされる所以ではないか。

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