幸福と一語で言いますが、幸と福では成り立ちに本質的に差があるのだと。
幸とは僥倖の言葉が示す通りに、偶然的な要素で「たまたま」に他から与えられるだけで、あてにはできないもの、すなわち他力本願であると。
一方福は、福の旁(右半分)が表すように自分で努力を重ねて得た収穫を、示偏(しめすへん)が神の意を表しているから、神の前に積み上げた状態であることを表現していて、つまりは自分の努力の結果なのだと。
故に仮に結果は同じでも、そのプロセスには大差がありますから、表意文字である漢字の成り立ちの意味は深いものだと改めて思う次第。
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